如来立像に関するニュース


千葉日報

太陽の恵みを祈願
千葉日報
船橋市文化課によると、昭和初期に一度中断したというが、1981年に保存会が結成され、再開された。 こじんまりとした堂だが、歴史は古いという。平安時代末期の作と推定される木造阿弥陀如来立像も納められており、同像は同市有形文化財に指定されている。


京の仏像:/31 釈迦如来立像 三室戸寺 /京都
毎日新聞
実は、本欄で14日に掲載した清凉寺(右京区)本尊・釈迦(しゃか)如来立像の模刻。この像を模した像は全国に数多いが、その中でも現存最古とされる。 縄状に巻かれたロングの螺髪(らほつ)に、両肩をけさで覆った通肩(つうけん)スタイル。白毫(びゃくごう)には ...


京の仏像:/30 木造釈迦如来立像 清凉寺 /京都
毎日新聞
インドで彫られた37歳の釈迦(しゃか)の像を模し、宋で作られた。鼓膜に水晶、歯に象牙を用い、胎内には絹製の内臓も。1953年、背面の内刳(うちぐ)りから、像の由来や宋時代初期の宗教史、美術史を物語る大量の納入品が見つかったことから「小さな正倉院」とも ...


京の仏像:/43 聖観世音菩薩立像 天龍寺 /京都
毎日新聞
聖観世音菩薩と伝わるが、持物(じもつ)や外見の特徴から薬師如来の脇に従う月光菩薩(がっこうぼさつ)と推測される。 頭上には宝冠、1本の長い蓮華(れんげ)を両手で携える。損傷が激しく、彩色もはがれ落ちているが、細身に天衣をまとったなだらかな像体の華麗さは ...


京の仏像:/42 金剛力士立像・阿形 東福寺 /京都
毎日新聞
像高2メートル3センチ、重要文化財。仁王門に安置されていたが、文化財保護のため移され、今は光明宝殿で吽形(うんぎょう)(2メートル7センチ)と共に阿弥陀如来(あみだにょらい)を挟んで立つ。阿形(あぎょう)を向かって左に配置するのは、奈良市の東大寺南大門 ...

如来立像に関する質問

如来立像 三千院の仏像は何時代ですか

京都大原三千院の秘仏薬師如来立像の御開帳を拝観してきました。1200年ぶりの御開帳とのことですので、平安時代の前期かな、と思うのですが、実際の仏像を見ると、鎌倉時代の仏像の様式にとても良く似ているなあと思

  三千院の仏像は何時代ですかの詳細


如来立像 大仏と観音の違いは?

大仏と観音の違いはなんでしょうか?大仏は座っていて、観音は立っている...しかわかりません。性別があるのか否かも気になります。ご存知の方、教えていただきますようお願い致します。

  大仏と観音の違いは?の詳細


如来立像 体、身体、体躯など仏像に適した表現は?

漢字の適用で困っています。仏像の体つきを表現する漢字はどれが適当でしょうか。例:( )全体に両肩を覆う 袈裟が密着していて、豊かな( )の曲線によって衣の襞が表現されている。(1)体(2)

  体、身体、体躯など仏像に適した表現は?の詳細


如来立像 仏像に収める胎内佛の意味について

タイトルの通りなのですが,完成した仏像の中に,改めて別の仏を入れるというのは、せっかく作った仏像の意味がなくなってしまうようにも思えるのですが,どういう起原があるのでしょうか。

  仏像に収める胎内佛の意味についての詳細


如来立像 「佐々木守綱」とは「佐々木盛綱」のことでしょうか - 教えて!

に当たります。守綱は当地に留まること五ヶ月、引揚げるに当たり小堂宇を建立し、持仏の薬師瑠璃光如来と家臣の阿弥陀如来を安置し、寺号を護国山守綱院と号しました。』​http://syukouin.com

  「佐々木守綱」とは「佐々木盛綱」のことでしょうか - 教えて!の詳細


如来立像旅行記

大阪造幣局桜の通りぬけと吉野山の桜(by tetsu60さん)

如来立像
大阪造幣局に行ったのはまだ大阪に住んでいた子供の頃。 ほとんど記憶がない。 造幣局の赤レンガの建物のみがかすかに記憶に残っている。 この造幣局の桜の通り抜けが始まったのはいつの頃か? 毎年数十万人が訪れる桜の通り抜けは今年は4月16日から22日まで行われるとのこと。 20日過ぎなら都合がよい、急遽見に行くことにした。 造幣局のみではもったいないのでついでに吉野の桜もと欲張った。

4月21日(月) 福岡→大阪→奈良→大阪
朝福岡を発って昼頃新大阪着。 造幣局のライトアップまではまだまだ時間がある。 この時間をつぶすため奈良の西ノ京に行くことにした。 西の京は平城京。 唐招提寺と薬師寺に行く。

さて唐招提寺と薬師寺は近鉄の「西の京」の駅で降りるのだが、若い頃に知っている唐招提寺や薬師寺は周りに何もなくて、ただ田んぼだけが広がっていただけだったのが、今では西ノ京の駅の周りから住宅が立て込んでいた。 京都ほど観光客がうようよしていないのが救いか?
唐招提寺は759年鑑真和上により建立されたといわれている。 「招提」とは「仏の下で修行する人たちの場」の意味。 これを寺名にしたもの。 唐招提寺は観光客はほとんどいなくて、われわれを含めても7〜8人。 もっとも金堂は修理中。 東山魁夷の壁画は公開されていないとのことで客の少ないのもうなずける。 南大門をくぐると正面の金堂は修理中でシートをかぶっている。 金堂の横を通って戒壇(中には入れない)を眺め、講堂に入る。 金堂の修理中御仏たちはここに安置されている。 国宝の本尊盧舎那仏坐像(座っている姿は珍しいらしい、国内で2体くらいとか)、国宝の千手観音立像、重文の薬師如来立像をはじめ数々の重文の像、さらに金堂の国宝の鴟尾(鬼瓦に相当するもの)などが展示されていた。 そのほとんどが奈良時代に作られたもので、よく見かける鎌倉時代の仏像に比べて少し素朴に感じられた。 とくに四天王が踏みつけている邪鬼たちはむしろ可愛いくらい。 
講堂を抜けて奥へ、地蔵堂を抜けると御影堂がある。 ここには鑑真大和上の坐像が安置され、東山魁夷が描いた障壁画も飾られている、が、今は開陳されていない。 魁夷の「山雲」「濤声」はこの絵を描くため日本中の質のよい緑青が買い占められたと評判(悪評判?)の絵である。 魁夷の絵について言えば出世作の「道」もすばらしいが、東山の杉木立の中に立っている五重の塔の絵は凛とした空気の格調の高いすばらしいものだと思う。 「山雲」「濤声」を見ることができなかったのは 残念! 横の庭に瓊花(けいか)が植えられて花が咲いていた。 なんでも鑑真和上遷化1200年を記念して1963年に中国から贈られたとのこと、ガクアジサイによく似た花(アジサイの一種らしい)。 白いなかなか清楚な花。

唐招提寺の後、薬師寺に向かう。 薬師寺は西ノ京駅を挟んで唐招提寺の反対側、南側にある。 薬師寺は700年頃建立され、710年平城遷都により飛鳥の地に移された。 この寺の美しさは白鳳伽藍と呼ばれるその配置の美しさにある。 北の與楽門を入ると正面に食堂跡と、その左右に東と西の僧坊、食堂跡を抜けると大講堂、大講堂の南に金堂、金堂の南東と南西に東塔と西塔二つの三重塔、そして南の正面に中門、中門から東西に伸びて凹状に東塔と西塔、金堂を囲む東回廊と西回廊。 中門の南に南門。 ほぼ正方形に作られたシンメトリックな白鳳伽藍。 薬師寺の本尊は金堂の国宝薬師如来、世界で最も美しいといわれている。 そして両脇を固めるともに国宝の日光菩薩(向かって右)と月光菩薩(向かって左)、これら薬師三尊像は白鳳時代の至宝。 もっとも日光菩薩と月光菩薩は東京で開催される薬師寺展のため生まれて初めての出張のため不在。 薬師如来も初めての御身拭いのため後背などが取り外されている。 大講堂の本尊は重文の弥勒三尊像。 そして東西の三重塔は…東塔は国宝、西塔は戦国時代に焼かれ1981年に再建されたもので屋根が将来重みで下がることを見越して少しそりあがっている…裳階(もこし)をつけているため六重の屋根に見えるが、実に美しい姿、たたづまい。 
白鳳伽藍と道路を挟んだ北側には玄奘三蔵院伽藍があり中央に玄奘塔と大唐西域壁画殿がある。 この伽藍から見た三重塔はすばらしい、白鳳伽藍の大講堂の両脇にたたずむ姿は実に美しい。 大唐西域壁画殿には平山郁夫の壁画が展示されている。 NHKでその製作過程を放映していたのを見たが、その時には「例によっていつもの絵か…」くらいの印象だった、が、実物の絵を見るとそんな気持ちは吹き飛んだ。 「仏教伝来」の絵以来の平山郁夫の集大成といってもよいくらい見事なものだった。 

奈良から大阪に戻る。 環状線に乗り森之宮まで、そこからは徒歩で造幣局へ。 時間は18時頃、まだ少し明るい、今日は平日にもかかわらずもうすでに大勢の人が押しかけている。 川岸には屋台がたくさん出ている。 造幣局の通り抜けは明治17〜8年頃から始まって、夜桜鑑賞は昭和26年から始まったとのこと。 通り抜けは600mくらいの桜並木に約120種、約600本を超える桜が植えられている。 南の門から入り北の門に抜けるが仕事を終えたサラリーマンたちも大勢詰めかけて、まさにごった返している状態。 人ごみを押し合いへし合いしながら歩くうちに日が暮れ、並木のあちこちに立てられているぼんぼりに灯がともる。 薄い明かりの中に白、ピンク、赤みがかったピンクの桜が浮かび上がる、なかなか幻想的な…といいたいが何しろ人が多すぎる。 わずか600mくらいの距離だが桜をあれこれ眺めながら1時間半ほどかけて出口に。 途中に昔見たことのある赤レンガの建物が懐かしくも残っていた。 

後はホテルに行くだけだが、造幣局はなぜだかきわめて交通の便の悪いところにある。 JRにも地下鉄にも便が悪い、地下鉄の駅まで20分ほど歩いた。

4月22日(火) 大阪→吉野山→大阪→福岡
今日は吉野山に桜を見に行く。 吉野山はいわずと知れた桜の名所。 しかしこの時期は下の千本はすでに散っており、中の千本ももうほとんど残っていないと思われる。 大阪阿部野橋から近鉄で吉野山まで1時間半ほど。 そこからバスで中の千本へ、さらにバスを乗り換えて上の千本へ。 中の千本にはやはり桜の花は残っていなかった。 ところでこの時期にもかかわらずかなりの観光客が来ていた。 上の千本でバスを降り金峯神社へ、徒歩で10分とは言うもののかなりの上り坂、結構きつい。 バス停でも桜が咲いていた。 どうやら満開。 金峯神社の周囲にも桜、が本数は少ない。 ここから1時間ほど登った奥の千本でも満開らしいが時間の都合もあって奥までは行けない。 
中の千本までバスで戻り昼食。 昼食後下の千本まで歩く。 下の千本までの間少しは桜も残っていた。 下の千本には金峯山寺があり、この周囲には土産物屋が軒を連ねている。 吉野といえば葛…福岡にも秋月の葛が有名だが…少し買って帰る。 
下の千本から吉野駅まで少し残った桜を眺めながら降りる。 

一路福岡へ。

完   了

【旅行時期】2008/04/21~2008/04/22
【エリア】大阪城・京橋
【テーマ】花見・紅葉
【投稿者】tetsu60

景勝地・高雄で過ごす至福の時〜川床料理と古刹参拝〜:神護寺?(by satoshi.s?さん)

如来立像
 ジバング倶楽部主催の景勝地・高雄で過ごす至福の時〜川床料理と古刹参拝〜に参加して楽しんで来ました。参加者65名

 ⇒JR花園駅(集合・受付)⇒もみぢ家(川床料理)⇒神護寺⇒JR花園駅(解散・帰宅)⇒

神護寺
 天長元年(824)に高尾山寺と、和気清磨呂が建立した河内の神願寺が合併して、神護寺になりました。また、唐から帰朝した空海が14年間住持していたことでも知られています。現在の諸堂は大師堂(重要文化財)を除き、応仁の乱で焼失したために江戸時代以後に再建されたものです。
 日本でも有数の紅葉の観光地は、かなり急な石段を15分ほど登った場所にあります。高雄山の山腹にそびえる山岳寺院で、清滝川に架けられた朱色の橋を 渡ると目の前に仁王門がそびえたちます。地蔵院の庭からの眺める錦雲渓と呼ばれる渓谷がとにかく絶景で、汗だくになりながら石段を登った苦労もこのためならばと納得することでしょう。
 ここからは「かわらけ投げ」という遊びが楽しめ、訪れた人たちの多くが遠投にチャレンジしています。建物のほとんどは江戸時代の再建ですが、金堂の薬師如来立像や、多宝塔の五大虚空蔵菩薩などが、貞観時代(866年〜)の真言密教芸術の粋を感じさせます。また、国宝の梵鐘は「三絶の鐘」と呼ばれ、日本三名鐘の一つです。

【旅行時期】2008/09/18~2008/09/18
【エリア】京都市内
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】satoshi.s?

景勝地・高雄で過ごす至福の時〜川床料理と古刹参拝〜:神護寺(by satoshi.s?さん)

如来立像
 ジバング倶楽部主催の景勝地・高雄で過ごす至福の時〜川床料理と古刹参拝〜に参加して楽しんで来ました。参加者65名

 ⇒JR花園駅(集合・受付)⇒もみぢ家(川床料理)⇒神護寺⇒JR花園駅(解散・帰宅)⇒

神護寺
 天長元年(824)に高尾山寺と、和気清磨呂が建立した河内の神願寺が合併して、神護寺になりました。また、唐から帰朝した空海が14年間住持していたことでも知られています。現在の諸堂は大師堂(重要文化財)を除き、応仁の乱で焼失したために江戸時代以後に再建されたものです。
 日本でも有数の紅葉の観光地は、かなり急な石段を15分ほど登った場所にあります。高雄山の山腹にそびえる山岳寺院で、清滝川に架けられた朱色の橋を 渡ると目の前に仁王門がそびえたちます。地蔵院の庭からの眺める錦雲渓と呼ばれる渓谷がとにかく絶景で、汗だくになりながら石段を登った苦労もこのためならばと納得することでしょう。
 ここからは「かわらけ投げ」という遊びが楽しめ、訪れた人たちの多くが遠投にチャレンジしています。建物のほとんどは江戸時代の再建ですが、金堂の薬師如来立像や、多宝塔の五大虚空蔵菩薩などが、貞観時代(866年〜)の真言密教芸術の粋を感じさせます。また、国宝の梵鐘は「三絶の鐘」と呼ばれ、日本三名鐘の一つです。


【旅行時期】2008/09/18~2008/09/18
【エリア】京都市内
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】satoshi.s?

源氏物語に釈迦如来像、興味深々、清涼寺(by 晴れ男。さん)

如来立像
 初夏を思わせる陽気で嵯峨の竹林で森林浴、そして清涼寺へと向かいました。

 【清涼寺】

○(歴史)

 この地は、今年誕生1000年を迎える「源氏物語」に登場する光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)(※1)の山荘、棲霞観(せいかかん)のあったところで、源融の死後の寛平8年(896)、棲霞寺としたのが清涼寺の前身。天慶8年(945)、醍醐天皇皇子であった重明親王(しげあきらしんのう)の妃が新しい堂宇を建立して藤原氏に寄進。さらに、永延元年(987)、?然(ちょうねん)(※2)が宋より釈迦如来像を持ち帰り、弟子の盛算(じょうさん)(※3)がこれを本尊として堂宇を建てて清涼寺とした。現在の本堂や阿弥陀堂、大方丈といった建物は、江戸時代に再建されたものだ。

(※1)
源融(822〜895)
 嵯峨天皇の皇子で、源氏の姓を受けて臣籍に下り、貞観14年(872)、左大臣になった。紫式部の「源氏物語」の主人公光源氏のモデルの1人に挙げられる。風流で豪奢な生活は六条院(東六条院)、嵯峨棲霞観(清涼寺)、宇治の別荘(平等院)など。鴨川べりの河原院・潮汲みの話で河原左大臣と呼ばれる。「みちのくのしのぶもぢずり 誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに」(百人一首。意訳 奥州の信夫郡で産する摺り衣の乱れ模様のように私の恋心は乱れている。いったい誰のせいで乱れ始めたのか。みんなあなたのせいだよ)。源融の歌である。

(※2)
?然(938〜1016)
 幼少の頃東大寺に入り、東南院観理から三輪宗を学び、石山寺玄杲から密教を受けた。永観1年(983)渡宋して、宋都に行き太宗に謁見した。

(※3)
盛算(932〜1015)
 平宿に入門して出家し、仁和寺の寛空・寛朝に伝法灌頂を受ける。山城清住寺に住し、高雄の神護寺別当を経て、994年東寺阿闍梨、1010年権律師となり、中宮彰子の護持僧を務める。


○(鑑賞のポイント)
 
 本堂に安置される本尊の釈迦如来像は必見。永延元年(987)、奈良東大寺の僧、?然がもち帰ったというもので、高さ1.6mの木像立像。頭髪は縄状で、肩から流れるような美しい波状の文様を描いた衣をまとい、眼には黒水晶、耳には水晶がはめこまれている。この釈迦如来像の様式は清涼寺式と呼ばれ、鎌倉時代に大流行となった。昭和28年(1953)には、体内より絹製の五臓六腑(ごぞうろっぷ)の模型が発見された。釈迦如来立像の体には無数の傷が刻まれている。これは人々が投げたお賽銭の傷跡である。生身の仏にはさぞかし痛かったであろうが、それだけ信仰を集めた裏返しでもある。これは中国において、昔から、人間の体の構造が知られていたことを示す重要な手がかり。この五臓六腑も国宝に指定されている。3体の阿弥陀が並ぶ阿弥陀三尊坐像も国宝。こちらは源融の供養のため霊宝館に安置されている。霊宝館にはほかに、国宝・重要文化財指定の仏像が多数安置され、毎年春季(4〜5月)と秋季(10〜11月)に特別公開される。江戸時代に小堀遠州によって造られたと伝わる大方丈の庭園も魅力的だ。

【旅行時期】2008/04/20~2008/04/20
【エリア】嵐山・嵯峨野・太秦・桂
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】晴れ男。

室生寺(by 亀吉さん)

如来立像
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山のお寺です。開基は、賢?、本尊は釈迦如来。
ここ室生寺には僕の大好きな国宝がたくさんあります。
まずは建造物
*金堂
*本堂
*五重塔
そして彫刻
*木造釈迦如来立像
*木造十一面観音立像
*木造釈迦如来坐像
美術工芸品
*板絵着色伝帝釈天曼荼羅

これだけの国宝がずらり。
風景といい、歴史といいどれをとっても文句なしのお寺です。



【旅行時期】2008/03/16~2008/03/16
【エリア】月ヶ瀬・都祁・室生
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】亀吉

如来立像関連エントリー

勝國寺の木造薬師如来立像特別公開

勝國寺額 またまた地元ネタで申し訳ない。世田谷区報を見て「勝國寺の木造薬師如来立像特別公開」というニュースをキャッチ、さっそく行ってきました。 ... 勝國寺本殿 さて、「木造薬師如来立像」ですが、天正20年の文書が胎内から見つかり ...

勝國寺の木造薬師如来立像特別公開

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像 あみだにょらいりゅうぞう 東京国立博物館

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像 あみだにょらいりゅうぞう 重要文化財 木造 金泥塗 像高98.7cm 鎌倉時代 13世紀 奈良 東大寺

阿弥陀如来立像

つっこみ如来立像

とうとう、買ってしまいました。 みうらじゅんのオフィシャル仏像「つっこみ如来立像」 人間の生み続けるボンノウに対し、漫才師のように 「もう ... し、しかし、この如来立像、元美術史専攻の私としましては、後頭部を鈍器で殴ら ...

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